【ナイン・オールド・メン】ユーモラスなキャラクターを生み出す「ウォード・キンボール」
ディズニースタジオの伝説の9人のアニメーター
ディズニーのアニメーションの制作の中で特に中心的な役割を果たした伝説的なアニメーター9人は、「ナイン・オールドメン」と呼ばれています。
今日はその中でもコミカルなキャラクターを得意としたウォード・キンボールについてご紹介いたします。
コミカルなキャラクターはお任せ! ウォード・キンボール
ウォード・キンボールは1914年3月4日アメリカのミネソタ州ミネアポリスに生まれましたが、幼少期は父親の仕事でアメリカ各地を転々とし10代の時にカリフォルニア州に落ち着くまで22回も転校しました。
その中で祖母の住むミネアポリスで絵を描くことを覚えました。
その後、通信教育で美術を勉強し、やがてサンタ・バーバラの美術学校に通いアニメーターへの道へと進むのでした。
1934年にウォルト・ディズニー・プロダクションへ参加
ドナルドのデビュー作でもある1934年の「かしこいメンドリ」の原画を担当
その後ミッキーの短編作品やシリー・シンフォニーなどの原画を手掛け、世界初の長編カラーアニメーションである「白雪姫」ではアニメーターとして参加します。
それからの数々の作品で生き生きとしたキャラクターを生み出し、1996年に引退するまで62年間もの間、アニメーションの制作や後進の指導にあたりました。
ウォード・キンボールはウォルト・ディズニーと共に大の汽車好きとしても有名でした。
2人はウォルトの家の庭に実際に汽車を走らせたり、カリフォルニアのディズニーランドパークにはウォルトの妻のリリーの名前とともにウォード・キンボールの名前の列車もあるほどです。
それではここからはウォード・キンボールの生み出したキャラクターや携わった作品をご紹介します。
「白雪姫」幻のお食事シーン
1937年に公開された世界初の長編カラーアニメーション「白雪姫」にアニメーターとして参加したウォード・キンボールですが、担当した小人達のお食事のシーンが時間の関係と少しお行儀が悪いという理由でカットされてしまいました。
失意のもとスタジオを退職しようとしたのですが、次回作での抜擢がありそこから数々の名キャラクターが誕生するのでした。
「ピノキオ」ジミニー・クリケット
1940年公開の長編アニメーション第2作目なる「ピノキオ」では原作ではほとんど存在感のなかったコオロギのジミニー・クリケットを担当しました。
ブルーフェアリーからピノキオの良心として物語の核となる重要なポジションとなります。
またジミニーは物語の中だけに留まらずディズニーにおいてとても重要な役割を果たします。
テーマパークの教育指導係のトレードマークに使用されたり、ディズニー・スタジオが作成していた陶器のフィギュアWalt Disney Classics Collectionでは記念の作品のバックスタンプになったりとマスコットキャラクターとして映画の枠を超えて活躍しています。
「ファンタジア」バッカス
1940年公開のアニメーション「ファンタジア」この作品はクラシック音楽に映像をつけて表現するという画期的な作品でした。
8曲のクラシック音楽からなる短編の物語です。その中のベートーヴェンの「田園交響曲」の中に登場するバッカスを担当しました。
この曲ではペガサスやキューピッド、ケンタウルスなど神話のキャラクターが登場するストーリーで、ワインの神様であるバッカスはダンスをしたりワインを飲んだり愉快な明るいキャラクターとして描かれています。
「ダンボ」ダンボ&ケイシー・ジュニア
1941年に公開された「ダンボ」サーカス団の人気者ゾウのジャンボの所にコウノトリが運んできたダンボは耳が大きく皆にからかわれます。
言葉を発しないキャラクターですが表情やしぐさで楽しさや喜び、悲しさ寂しさなど気持ちを表現されておりこれはウォード・キンボールを始めとしたアニメーター達の素晴らしい表現力のなせる業です。
この作品は2019年に実写映画としても公開され約80年が経っても色あせず愛されています。
また、サーカス団の移動手段である蒸気機関車ケイシー・ジュニアの愉快な動きは無機物なものにさえ命を与える汽車好きなウォード・キンボール。
そんな彼が生み出したキャラクターはカリフォルニアのディズニーランドパークの中でアトラクションとしても来園するゲストたちを楽しませています。
「メロディ・タイム」ペコス・ビル
1948年公開の短編集の映画「メロディ・タイム」の中の作品に登場するペコス・ビル。
アメリカの西部開拓時代の伝説上のカウボーイをアニメーションにしたこちらの作品ですが愉快なキャラクターを得意としたウォード・キンボール。
しばしばアニメーター達は鏡で自分の表情を見ながら描いたりするのですが彼が生み出すコミカルなキャラクターは自身投影されているのかもしれません。
「シンデレラ」ジャック、ガス、ルシファー
1950年に公開された「シンデレラ」屋根裏に住むシンデレラの良き友人であるネズミのジャックとガス。
リーダー格のジャックとおっとりとしたガスですが、小鳥や他のネズミ達と力を合わせてシンデレラの為に舞踏会に行くためのドレスを作ったり。
さらに、王子の捜している女性がシンデレラであると気づいた継母・トレメイン夫人によって、屋根裏部屋に閉じ込められたシンデレラに、小さな体で鍵を届けたりと、大活躍するなくてはならない重要なキャラクターです。
また、そんなジャックとガスの天敵ともいえるのがトレメイン夫人の飼猫ルシファーです。
夫人と同じように意地悪でいつもシンデレラの仕事の邪魔をしたりネズミ達を捕まえてやろうと虎視眈々ねらっています。
ですがシンデレラの味方の犬のブルーノが大の苦手で最後は反対に追いかけられて窓から落ちてしまいます。
慌てて逃げる姿など意地悪なキャラクターではありますがコミカルな動きで憎めない人気があります。
ルシファーのモデルはウォード・キンボールの飼い猫だと言われていますが、いたずらっ子だったのでしょうか。
身近な動物や生き物などをモデルにしてキャラクターを描くディズニーならでは、がここにも生きています。
「ふしぎの国のアリス」マッドハッター、チェシャ猫
1951年公開の「ふしぎの国のアリス」イギリスの作家ルイス・キャロルの原作を長編アニメーションにしたこの作品は題名の通り本当に不思議な物語で登場するのはすべてヘンテコで楽しいキャラクターばかりです。
その中でもウォード・キンボールが担当したのがマッド・ハッターとチェシャ猫です。
彼の愉快なキャラクターを生み出す力はこの作品にもとてもマッチしていました。
マッド・ハッターは三月ウサギと一緒にいつもおかしなお茶会をしている帽子屋です。
かぶっている帽子にも10/6(10シリング6ペンス)と値段がついたままと、まさに「ふしぎの国」の中のキャラクターです。
白ウサギを追いかけるアリスが迷い込んだお茶会では、とにかく明るく364日はお誕生日ではない「なんでもない日」としておもてなしをします。
はじめは楽しかったお茶会も、結局は白ウサギの懐中時計をめちゃくちゃにしてしまいハチャメチャになってしまうのでした。
ディズニーの映画の中に登場する猫の中でも人気の高いチェシャ猫は、ピンクと紫のシマシマ模様のニヤニヤ笑いがトレードマークです。
こちらもやはり「ふしぎの国」の登場キャラクターらしく姿を現したり消したり、耳をまるで帽子のように取り外して挨拶したり、顔と胴体が分かれたりと、行動でも森の中で道を聞くアリスになぞかけのような言葉を残したりと翻弄します。
「ピーター・パン」ロストボーイズ
1953年の「ピーター・パン」はイギリスの作家ジェームス・バリーの原作を制作に3年の年月をかけ、ディズニー・プロダクション創立30周年の記念として公開された作品です。
その中でウォード・キンボールが描いたのが動物の形の服装をしたピーター・パンの子分たちのロストボーイズです。
彼らはネバーランドの隠れ家にピーター・パンとティンカー・ベルと共に暮らしているのですが、ジョンやマイケルとすぐに打ち解け探検にでかけ、インディアンの酋長の娘タイガー・リリーを連れ去ったと誤解され捕まったり(そのご誤解が解けましたが)ウエンディからママの話を聞いて自分たちにもお母さんが居たことを思い出して恋しく思ったり、フック船長や海賊たちと戦ったりと小さな体でピーター・パンと共に活躍します。
左からくま:カビーきつね:スライトリーあらいぐま:ツインズうさぎ:ニブススカンク:トゥートルズ
ミッキーの表情を大きく変えたウォード・キンボール
1928年のデビューから不動の人気を誇るミッキーマウスですが時代によって様々に変化してきています。
モノクロの蒸気船ウイリーから歴代のミッキーマウスの表情をご覧いただくと随分と変わっていることがおわかりいただけますが、一番大きな変化は「目」です。
初期のミッキーは黒目だけで表現されていましたが、1939年の短編作品「ミッキーの猟は楽し」で初めて白目のある、また肌の色も前作の「ミッキーの愛犬」とは変わってより一層、表現力のある魅力的な表情になりその後も様々な物語で活躍しました。
それを手掛けたのがウォード・キンボールでした。それはミッキーの変化の中でも画期的なことでした。
ご紹介しました作品やキャラクターはウォード・キンボールの主な活動ですが、その他のナイン・オールドメンと同じように彼の活躍でディズニー作品はもとより全てのディズニーのコンテンツに大きな影響力を与えています。
残念ながら2002年7月8日に88歳で永眠されましたが、そのスピリットは今でもディズニー・スタジオのアニメーター達の心に残っていることでしょう。